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『手紙』東野圭吾|加害者家族の苦悩と赦しを描いた名作【感想・考察】

東野圭吾『手紙』の書影と加害者家族の苦悩を描いた感想記事のアイキャッチ 本の紹介

『手紙』 東野圭吾

両親を亡くした兄・剛志が、弟・直木のために必死に働きながら生活を支えていた。直木には大学に進んでほしいと願っていたが、金銭的に厳しく、弟自身も進学に消極的だった。状況を変えようとした剛志は、かつて引っ越しのアルバイトで訪れた資産家宅に強盗に入り、足を悪くしていたために逃げ遅れ、住人を殺してしまう。

直木に毎月届く兄からの手紙。最初は嬉しかったその手紙が、次第に重くのしかかるようになる。罪を犯していないのに、兄が強盗殺人犯であるというだけで、社会からは「加害者家族」として見られ、差別や偏見にさらされる現実。直木は、働きながらも夢や人間関係を壊されていく苦しみの中で、それでも逃げずに現実と向き合っていく。

1. 「加害者家族」であることの現実

この作品が深く刺さるのは、「犯罪を犯したのは兄だが、苦しみを背負うのは弟も同じ」という構図がリアルだからだ。直木は何も悪くない。けれど、世間はそれを許してはくれない。就職、恋愛、夢、すべての場面で「兄の罪」が影のようについて回る。誰にも責められる筋合いはないのに、ずっと責められているような孤独が続く。

本作を読むことで、加害者家族に対して無意識に抱いていた偏見や「本人じゃないんだから関係ない」という考えが、いかに浅いものだったかに気づかされる。

2. 「謝罪」は本当に届くのか

物語の後半で強く描かれるのは、「謝罪」という行為の意味だ。加害者やその家族が、何か行動を起こすことは本当に償いになるのか? 謝り続けることは、被害者のためになるのか?

直木は、加害者家族として被害者遺族に会い、向き合おうとする。しかし、その行動ですら「お前の自己満足だ」と突き返される場面もある。謝罪とは誰のためのものなのか。反省を伝えることが、かえって相手を傷つけることもあるという厳しい現実がそこにある。

この問いは、読者自身にも投げかけられている。私たちは加害者にも、加害者家族にも、被害者にもなり得る存在なのだ。

3. 自分と異なる存在と、どう向き合うか

『手紙』を通して浮かび上がる本質的なテーマは、「自分と異なる存在をどう受け入れるか」という問いだ。兄を殺人犯に持った直木。直木を知りながらも、距離を取る人、同情する人、寄り添う人。それぞれの反応がとてもリアルで、読者自身も「自分ならどうするか」と問われ続ける。

殺人はもちろん許されるものではない。しかし、その家族をも同じ罪人として扱っていいのか。もし目の前に直木のような人がいた時、自分は本当に差別せずにいられるのか。そう問われると、自信を持って「はい」とは言い切れない人も多いのではないだろうか。

4. 読後に残る問いと苦さ

物語は重く、つらく、でも最後まで読む価値のある一冊だ。涙を誘うだけでなく、「正しさとは何か」「償いとは何か」「家族とは何か」といった答えのない問いを読者に残していく。犯罪は本人だけの問題では終わらない。その余波で人生を狂わされる人がいる。加害者家族が負う痛みは、決して軽くない。

『手紙』は、今この社会で見過ごされがちな「見えない苦しみ」に光を当てる作品。自分には関係ないと思っていた問題が、実はすぐ隣にあるのかもしれない。そんなことに気づかせてくれる物語だった。


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