『おいしいごはんが食べられますように』感想・レビュー
目次
- ごはんが「雑に扱われる」珍しい小説
- 善意や親切が誰かを追い詰めることもある
- 丁寧な暮らしと、疲れきった日々のギャップ
- 食べることに無関心でも、この物語は刺さる
- 押しつけられる“正しさ”への違和感
- まとめ:タイトルに込められた、静かな苦しさ
1. ごはんが「雑に扱われる」珍しい小説
『おいしいごはんが食べられますように』(高瀬隼子 著)は、タイトルの印象とは裏腹に、食事が「癒し」ではなく「負担」や「対立」の原因として描かれます。ごはんを丁寧に描写する小説が多い中で、本作のようにあえて雑に扱われる描写はとても珍しく、そのギャップが強く印象に残りました。
2. 善意や親切が誰かを追い詰めることもある
登場人物・芦川さんはとても優しく、丁寧な暮らしをしています。でも、その“丁寧さ”が他人を静かに追い詰めていく様子に、現代的な息苦しさを感じました。
「押しつけじゃないよ?」という言葉の裏にある無意識のプレッシャー。それが誰かをどれだけ縛るのか――この作品は、表面上何も起きていないように見えるのに、じわじわと心を削られていく感覚をとても巧みに描いています。
3. 丁寧な暮らしと、疲れきった日々のギャップ
一方の二谷は、食事をめんどうに感じており、コンビニやカップ麺で十分と考えています。仕事で疲れきったあとに、自炊して片づけをすることで、自分の時間が奪われる。そんな中で「ちゃんと食べるべき」「手作りが一番」と言われると、それはもう攻撃にさえ感じられるのです。
4. 食べることに無関心でも、この物語は刺さる
私は普段、食事がテーマの小説にはあまり手を伸ばしません。でもこの作品は「食そのもの」ではなく、「食を通じた人間関係のいびつさ」にフォーカスされていて、食に興味がない人にこそ響くものがありました。
食べ物がセリフの背景として登場するたびに、そこにある“気遣い”や“遠慮”がにじんでいて、嫌悪感よりも共感が勝ちました。
5. 押しつけられる“正しさ”への違和感
「バランスの良い食事が正しい」「手作りがえらい」「みんなで食べるのが幸せ」といった価値観は、いつの間にか正義として刷り込まれていて、それを断ると“悪い人”になってしまう空気がある。
でも本当は、健康的な食生活も、誰とどこで何を食べるかも、人それぞれでいいはず。正しさや優しさに潜む圧力――本作は、それを見せてくれる希少な小説です。
6. まとめ:タイトルに込められた、静かな苦しさ
『おいしいごはんが食べられますように』というタイトルは、当たり前でささやかな願い。でも実際には、その「当たり前」がどれほど人間関係に左右されるのか、本作を読んで改めて実感しました。
ほっこり系の装いをしながら、その中身はちょっとドロッとした“リアルな感情”でできている。登場人物たちの「こういう人、いそう」感もすごく強くて、静かだけど深く刺さる物語でした。
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